2018年9月1日土曜日

書評 『朝鮮民族を読み解く』(古田博司、筑摩書房、1995年、ちくま学芸文庫版は2005年)

◆韓国と北朝鮮に共通するもの◆




   毎年、韓国や北朝鮮に関する多種多様な書籍が出版される。大型書店の朝鮮半島コーナーの前に立てば、よく分かる。たとえば大学生が韓国もしくは北朝鮮に関心を持ったとして、どの書籍からひもとけばよいのか、と困惑するのではないか。まずこれを読んでみたら、と薦められるのがこの本である。

    大学で東洋史を専攻した古田氏は、1980年に韓国から6年間、韓国で生活した。その後、日本で大学教員となる。韓国人との交流を通じて抱いた素朴な疑問、すなわち「なぜこのように彼らは考え、感じるのか」という問いに、一冊の本で自ら答えたと言える。

    実際の体験を織り交ぜて書いているところは読みやすい。

    特に面白いエピソードは、友人の結納の式を巡るものだ。古田氏は、韓国から帰国後、下関市の大学で働いていたころ、音信不通となっていた親友を探しに韓国へ赴く。探し当てたら、その友人は結婚話がまとまっていて、明後日の結納の式にお前も出ろ、という。古田氏はそこで、韓国における人間関係について貴重な見聞をする。

    ただし、この本は単なる体験報告ではない。朝鮮民族の人間関係について理論的な考察まで筆は及ぶ。朝鮮・中国の歴史と、朱子学など東洋思想についての造詣がその考察の土台となっている。

    理論的考察のキーワードは「ウリ(自分たちという意味)」「ナム(ストレンジャーという意味)」である。ウリは同心円の構造を持つ。内側にあるのが宗族(血族)で、その外側に同窓生があり、さらにその外に知人がある。韓国人にとって、血族の一員であるという意識は、日本人の想像を超えるほどに強い。

   こうした民族にとって、ネーション・ステート(国民国家)を形成することには困難が伴う。ステート(国家)はあっても、ネーション(国民)としての連帯感が乏しいからだ。

 1961年に軍事クーデターで韓国の権力を握った朴正熙は、祖先をまつる祭祀の簡略化を政策的に推進した。学校においては、民族主義と愛国主義を教えることに力を入れた。

 北朝鮮が選択したネーション・ステート作りの道は、より大胆であった。大衆への宣伝・教育を通じて、独裁者、金日成が国民の「親」であると教え込んだ。伝統的な祖先崇拝の対象の座に、金日成が据えられたのである。「国家と血族の二つの中心点をもつ楕円の世界を、金日成という核をもちいて一つの中心点に収斂させようとする試み」だった。

 李氏朝鮮が、中国由来の朱子学を徹底して実践したことも、朝鮮民族を理解する上で肝要な点だ。朱子学がさだめる葬礼、喪礼、祭祀を大衆の日常に強制した。日本で儒教が様々な思想と共存し、庶民の生活を律することがなかったのとは、事情が異なる。

 最後に、ブログ執筆者のこの本とのかかわりについて付け加えたい。1995年に出版された頃に読んで以来、この本を何度も読み返してきた。たとえば以下のくだりが、韓国人とつきあう上でとても役に立った。「朝鮮民族とは議論してはならぬ、共同会食すべし」。たしかに、韓国人は議論する時と飲食をともにする時では、別世界の住人であるかのように違う顔を見せることがある。

 この本は2005年、ちくま学芸文庫に収められた。文庫本のための「あとがきにそえて」が添えられている。(写真の左は1995年版、右は2005年版)



目次

第一章 韓国人の人間関係

第二章 北朝鮮の古くて新たな挑戦

第三章 宗族か民族か「個人」か

第四章 ウリとナムの力学

第五章 理気の世界

第六章 「事大」と「小中華」


著者について

1953年、横浜生まれ。筑波大学大学院教授。著書に『東アジア・イデオロギーを超えて』(読売・吉野作造賞)、『ヨーロッパ思想を読み解く 何が近代科学を生んだか』など。