2019年2月9日土曜日

書評 『朝鮮の政治社会』(グレゴリー・ヘンダーソン、鈴木沙雄・大塚喬重訳、サイマル出版会、1973年)

◆韓国政治を論じた記念碑的著作◆


(写真は1997年の第2版)

   大学の講義で韓国の政治をとりあげると、学生からよく寄せられる質問がある。「どうして韓国では大統領を務めた人が次々とスキャンダルにみまわれたり、逮捕されたりするのか」
   1980年代後半に民主化した韓国は、経済も発展し、世界トップ10に入る輸出大国となった。だが、政治は安定しない。激しい政争が繰り返される。歴代の大統領経験者が国民から広く敬意をもたれるわけでもない。

    韓国政治の特徴は何なのか。その原因はどこにあるのか。こうした問いを抱く者にとって、この本は読みがいのある労作である。

   原著は、 KOREA: The Politics of the Vortexという。vortexとは渦巻を意味する。より原語に忠実にタイトルをつければ「渦巻の政治」となるだろう。1968年にHarvard University Pressから出版された。日本語版はその5年後に出ている。

  内容は古びていない。今日の韓国政治を考察する際にも十分に役に立つ。

   韓国の政治を、著者グレゴリー・ヘンダーソンは、「渦巻の政治」と表現した。著者の思考が端的に表現された部分を序説から引用する。

「朝鮮の政治力学の法則は、社会のあらゆる活動的分子を、権力の中心へ吸い上げる一つの強力な渦巻にたとえられよう。(中略)垂直的圧力には反作用がかからない。というのは渦巻の形成を妨げ、あるいはすでに形成された渦巻を制止できる、地方のまたは独立した集団が存在しないからである」(5頁)

   この本の価値のかなりの部分は「渦巻」という表現の巧みさにある。韓国政治の特徴を上手にとらえている。

   引用した箇所の最後のセンテンスも重要だ。どうして「渦巻」のような現象がおきるのかを説明している。渦巻きを制止するような地方の集団、独立した集団が存在しないと言う。

   これには歴史的な背景がある。14世紀に始まり日本による植民地化でおわった李氏朝鮮は、中央集権だった。朝鮮は、日本や欧州のように封建制を経ていない。「朝鮮には、日本やヨーロッパ社会を特徴づける武具師、染め物師、商人や専門化、位階制組織、忠誠心などを発達させた城下町や、ギルド、商港、商人社会は確立されなかった」(235頁)という指摘は重要だ。

   20世紀後半の韓国政治の源流を求めて、李氏朝鮮の歴史にさかのぼる。こうした視野の大きさがこの本の特徴だと言える。こうした雄大な構えは、著者の経歴に根ざしている。

   ヘンダーソンは、韓国語ができる米国の外交官として、1948年7月にソウルに赴任した。「大韓民国」建国の直前のタイミングだ。50年10月までの勤務で、李承晩政権の混乱ぶり、そして朝鮮戦争勃発まで経験したことになる。2度目の韓国勤務は1958年5月から63年3月まで。今度は、「学生革命」による李承晩政権の崩壊と朴正熙らによる軍事クーデターを現地で観察した。

   激動期は民族や国家が持つ性格を露呈する。著者は韓国ウォッチャーとして実に豊富で貴重な見聞を積んだに違いない。その上で1963年に大学での研究生活に入った。生々しい体験から得た直観を、歴史学や政治学の成果を参照しつつ掘り下げ、より広い文脈の中で位置づけていった。その営々たる努力の成果がこの本だ。

  ブログ執筆者にとって、2000年に出会った懐かしい1冊だ。4月の国会議員選挙を前に、市民団体による「落選運動」が猛威をふるっていた。そのさなかに、韓国の公共放送KBSの朴権相社長と会った。東亜日報出身の高名なジャーナリストである朴氏が、この本を読むことを薦めてくれた。

   おかげで気づいたことがある。韓国政治をフォローしているプロたち、すなわち学者やジャーナリストの間では、「渦巻」と言うだけで、この本をふまえた表現だと理解される
のだ。日本人同士だけでなく、韓国人の専門家相手にも同様の経験をした。その筋では、よく知られた本なのだ。

   にもかかわらずこのブログを書いている時点(2019年2月)で、この本が絶版となっているのは残念だ。復刻する価値のある重要な著作だと思う。


著者について(この本の著者紹介・第二版訳者まえがき、ニューヨークタイムズ1988年10月18日付による)

グレゴリー・ヘンダーソン (Gregory Henderson)
1922年生まれ。マサチューセッツ州出身。43年ハーバード大学卒業。在学中に日本語を学び、海兵隊の語学将校になり、サイパンなどの戦闘に参加。47年国務省入り。韓国駐在は2回、計7年に及ぶ。63年ハーバード大学国際問題センター客員研究員。以後、タフツ大学などで研究を行う。1988年死去。




目次


朝鮮政治の近代化とその力学ー序説


1部  社会的同質性と中央集中化ー渦巻パターンの源泉

1  単極磁場ー中央志向の土壌
2  伝統的な社会ー維持の背景 


2部  朝鮮政治の弁証法ー渦巻パターンの検証

1  近代的政治動員の発端ー李朝最後の五〇年
2  全体主義的植民政策ー日本の朝鮮統治
3  分裂と抗争の復活ー米軍占領下の朝鮮
4  民主主義の流産ー李承晩から朴正煕まで


3部  朝鮮的政治風土の構造ー渦巻パターンの力学

1  中央集権化と政治の流動化
2  機能と機構の拡散ー朝鮮文化固有の基盤
3  派閥主義と評議機関の機能


4部  政治的凝集の探求ー渦巻パターンの解体

1  政党ー無力なエリート集団
2  共産主義ー南北異なる効用
3  軍部ー改革の中核へ
4  多元化社会の可能性ー地方政権に権力分散を