◆ドイツを理解する鍵は中世にある◆
欧州一の経済大国、ドイツは国際ニュースによく登場する。今日のドイツの行動を理解するために、歴史を学ぶというのは自然な発想だろう。ドイツの場合は、急がば回れ、である。この国と国民について深みがありかつ役立つ認識を得るためには、中世まで遡ることを勧めたい。そして、この本がよき道案内となる。
著者、阿部謹也氏は、中世ドイツ史の専門家で、『ハーメルンの笛吹き男』(平凡社、1974年)(ちくま文庫、1988年)で、江湖にその名を知られた。
この本は、冷戦終結後1990年代までのドイツ史をカバーしている。叙述は基本的に時系列に沿っている。近代のドイツにしぼって学びたければ第10章以降、すなわち18世紀以降を読む、という読書法もできる。
押さえておくべきポイントは、18世紀末、ドイツは300以上の領邦に分かれていたこと、19世紀にはいり、ナポレオン率いるフランスの影響下で領邦は40の単位に編成されたことだ。プロイセンが普仏戦争に勝利し、ドイツ帝国が成立したのは1871年であり、明治維新とほぼ同時期だ。
著者は、19世紀のドイツ統一と、20世紀後半の欧州統合に関してこんな考察をしている。「ドイツの歴史はヨーロッパ連合の歴史のミニチュア版なのである」(p260)。19世紀にラント(領邦)を結びつけてドイツを作った経験と、欧州諸国が欧州連合を形成する動きに共通するものがある。
第2次世界大戦後、西ドイツは欧州統合の優等生だった。1990年の東西ドイツ統一を経て、ドイツが欧州連合(EU)で主導的役割を果たすようになる。
ドイツ人の国民性が持つ欧州統合との親和性をさらに掘り下げて理解しようとする時、中世に目を向けることが役に立つ。この本には中世に関する深い洞察があちこちに散りばめられている。現代のドイツ、ヨーロッパの現象を照らす光を発している。
神聖ローマ帝国は、962年に成立し、1806年に消滅した。前述のように、ドイツは多数の領邦に分かれていたが、神聖ローマ帝国という理念は持続していたのである。ここでいう理念とは、神が創造した世界の統治を皇帝が神の代理者として行なっている、という考え方である。
2015年に中東から欧州に難民が大量流入した際、ドイツのメルケル首相は、欧州の人権尊重の理念を守るためには、難民を寛大に受け入れる必要がある、という論を展開した。この理念への傾斜に、ドイツの中世からの伝統を見て取ることができる。
ブログ執筆者がハッとさせられた箇所を抜き出してみよう。
「 一二世紀ルネッサンスの中心に個人の問題があったといって良いだろう。ヨーロッパにおいてはこの頃に個人が成立したのである」(45頁)
「帝国がキリスト教と深く結びつき、古代への憧れと深く関わるものであるとすれば、ラントは部族時代への憧憬が現実化したものということもできる」(68頁)
「一二世紀以来個人が徐々に成立し始め、一五世紀には一般民衆の間にも信仰の個人化が進んでいた。ルターはまさに一二世紀以来の西欧の個人(人格)形成の流れの中に立っていたのである」(93頁)
「領邦国家においては、権力が君主に独占されていったが、それはまず何よりも、宗教の独占を通して行われたのであり、領邦の宗教は君主の信仰によって定められたものであった」(135頁)
「強力な中央集権国家をついにもつことができなかった中世のドイツにおいては、都市か領邦が国家だったのである」(183頁)
「ドイツが栄光に輝いていたときの帝国とは俗人戦士と聖職者、つまり俗の権力をもつものと不可視の霊界が結びついた権力との協力によるものであり、また両者の拮抗の中で存続し得たものであった」(285頁)
この本を読んで残念に感じたのは、ナチスドイツに関する記述が薄いことだ。阿部氏はナチス時代の専門家ではないので、遠慮が働いたのだろうか。
ナチズムは近代を超克しようとした。ナチスの思想や行動の中に中世とつながるものがあったはずである。たとえ体系化されていなくとも、阿部氏のナチズムについての独自の見解を読みたかった。
著者について
1935年生まれ、2006年死去。一橋大学教授、学長を務めた。専攻は西欧中世史。
目次
第一章 ドイツ史の始まり
第二章 叙任権闘争の時代
第三章 個人の誕生
第四章 神聖ローマ帝国
第五章 中世末期の苦悩
第六章 宗教改革の波
第七章 一五・一六世紀の文化と社会
第八章 領邦国家の時代
第九章 三十年戦争の結末
第十章 ゲーテの時代
第十一章 ビスマルクの時代
第十二章 ヴァイマール体制へ
第十三章 ナチズムの支配と敗戦
第十四章 亡命と難民の時代
終章 ヨーロッパ連合の一員として