今日の国際情勢を理解するために中国の歴史を勉強しなくてはならないーブログ執筆者が抱えてきた長年の強迫観念だった。
それ自体は間違っていないと今でも思う。だが、以前持っていた「中国の歴史」についての思い込みは、岡田英弘によるこの本を読んで大きく修正された。「目から鱗が落ちる」とはこのことかと感じた。
ずっしりとした重みを感じていた「中国の歴史」のイメージとはどのようなものだったか。岡田英弘の表現を借りれば「『正統』の皇帝中心の不変の世界の叙述」(109頁)である。中国というスペースがあって、そこで王朝が興亡を繰り返す。漢、隋、唐、明はおなじみだ。元はモンゴル族、清は満州族という異民族が支配した王朝だった。3世紀の三国鼎立といったややこしい時代もあった・・・
この本は二重の意味で、こうした思い込みを打ち砕く。一つには中央ユーラシア高原に視点を置いたスケールの大きな叙述を通じて中国の歴史を相対化する。モンゴルが主役である。もう一つは、歴史とは何かを論じることによって、世間に流通する中国史の枠組みの限界を示す。
この本はいわば、〈モンゴル話〉と〈歴史談義〉という二つの柱からなっている。
出だしが強烈だ。「一二〇六年の春、モンゴル高原の片隅に遊牧民が集まって、チンギス・ハーンを自分たちの最高指導者に選挙したという事件」を描写して、次のように断じるのだ。
この事件は、世界史のなかで最大の事件であった。つまりこの事件が、世界史の始まりだったのである。(31頁)
第4章から6章まで、中央ユーラシア高原を舞台としている。その中から〈モンゴル話〉の重要な主張が浮かび上がってくる。
中央ユーラシア草原では、六世紀以来、一連の遊牧帝国の系列が成長を続けて来て、とうとう十三世紀に至って、隋・唐の系列の中国のなごりを、完全に呑み込んでしまった(118頁)
元朝は、東アジアの多くの地域を統合した大帝国だったが、一番重要な地域はもちろんモンゴル高原で、中国は元朝の植民地の一つに過ぎなかった(119-120頁)
北の帝国の優勢は時とともに大きくなり、最後にモンゴル帝国が中国全体を呑みこんでしまう(184頁)
中央ユーラシア高原が中国文明に与えた影響という観点は、このブログでもとりあげた梅棹忠夫の『文明の生態史観』と共通する。
〈歴史談義〉の方もスケールが大きい。
まず「歴史」が定義される。
歴史は単なる過去の記録ではない。そして、時空を眺め回したかのように、こう告げる。
歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。(32頁)
歴史のある文明よりも、歴史のない文明の方が、はるかに数が多い。
世界広しといえども、自前の歴史文化を持っている文明は、地中海文明と、中国文明の二つだけである。(39頁)
地中海文明の「歴史の父」は、前五世紀のギリシャ人、ヘーロドトスである。(52頁)
ヘーロドトスが(中略)打ち出している見方は、世界はヨーロッパとアジアの二つにはっきり分かれ、ヨーロッパはアジアと、大昔から対立、抗争して来たものだ、という主張である(62頁)
岡田英弘の筆はキリスト教の歴史観にも及ぶ。特に重視するのは、新訳聖書の最後に置かれる「ヨハネの黙示録」である
ヘーロドトスの対決の歴史観と、キリスト教の歴史観とは、きわめて重要な点で一致していた。それは、「ヨハネの黙示録」の、世界は善の原理と悪の原理の戦場である、という二元論である。(77-78頁)明治以降、西洋の学問の吸収に努めてきた日本では、歴史学においても西洋流が根を張っている。岡田英弘はだからこそ、まず西洋の歴史の原点であるヘーロドトスから〈歴史談義〉を始めたのだろう。
西洋流の歴史観を切った上で、もう一方の中国流の歴史観に刃を向ける。
中国文明の「歴史の父」は、地中海世界のヘロードトスより三世紀半ほどの後の、前一〇〇年前後に『史記』を著した司馬遷である。(82頁)
司馬遷を元祖とする中国の歴史記述の核心はどう表現されるか。
皇帝が統治する範囲が「天下」すなわち世界であり、「天下」だけが歴史の対象である。中国文明の歴史は、皇帝の歴史であり、永久に変わることのない「正統」の歴史である。(101頁)
唐以降の中国で歴史記述の担い手となったのは、官僚登用制度、科挙の合格者だった。科挙のテキストは儒教である。それが故に、唐以後の「正史」には軍事面が軽視されるという欠点がある。
〈歴史談義〉の本筋とは言えないが、韓国をウォッチしてきたブログ執筆者にとっては、朝鮮に決定的な影響を与えた朱子学についてのくだりも印象的だった。
道教は、仏教と儒教の教義を総合して、大きな体系を作り上げたが、それをそっくり借りて、術語だけを儒教の教典の熟字で置き換えたものが、宋代に興った新儒学、いわゆる宋学である。宋学を大成したのが、南宋時代に生きた朱熹(一一三〇~一二〇〇)であった。(228頁)
ブログ執筆者は、朝鮮が封建制を経ていないことが現代の韓国、北朝鮮のお国柄に反映していると考えている。朝鮮半島にも封建制があったという言い方を見かけると首を傾げてきた。だから、岡田英弘が「封建」という用語を巡る混乱を指摘していたのは役に立った。
中国史の「封建」は、武装移民が新しい土地を占領して都市を建設することを意味する。それに対してヨーロッパ史の「フューダリズム」は、騎士が、一人または複数の君主と契約を結び、所領(フュード)の一部を手数料(フィー)として献上して、その見返りに保護を受けることを意味する。(257頁)
以上、常識を突き崩す突破力を持った、岡田英弘の所論を紹介してきた。その語り口には天才に特有のきらめきがある。
と評価した上で、思わず「これははずしたな」と苦笑したかしょもあった。
社会主義が過ぎ去った後のロシアと中国では、資本主義はまず成功しないであろう(248頁)ロシアはさておいて、中国の膨張ぶりを目の当たりにする我々は、中国流の市場経済の成功を認めざるを得ない。
岡田英弘自身、この本の中で「およそ学問というものは、未来の予知を究極の目的とする」(104頁)と述べている。歴史学も例外ではないのだ。先見というものは難しい。だが取り組まなくてはならない、と思う。
▼岡田英弘について(『世界史の誕生』著者略歴、読売新聞の記事などを参照)
歴史学者。1931年、東京に生まれる。2017年、死去。東京大学文学部東洋史学科を卒業。東京外語大学教授を務める。中国語、満州語、モンゴル語の知識を駆使し、独自の歴史観を提唱した。全8巻の著作集が藤原書店から刊行された。
▼『世界史の誕生』目次
第1章 1206年の天命―世界史ここに始まる
第2章 対決の歴史―地中海文明の歴史文化
第3章 皇帝の歴史―中国文明の歴史文化
第4章 世界史を創る草原の民
第5章 遊牧帝国の成長―トルコからキタイまで
第6章 モンゴル帝国は世界を創る
第7章 東洋史・西洋史から世界史へ